選別される命

大統領であっても障害者であっても、命の重みは等しい。これは人権として絶対的に揺るがない前提ではあるのですが、現実としては皆さん素直でというか、僕は個人的には望ましい方向に進んでいると考えていることがあるのでそれについてお話したく。

科学的には、受精卵の状態で何らかの遺伝的な疾患を抱えている可能性があるかというところは事前に分かるようになってきています。さらに進んで、どういった分野に秀でた人間になる可能性が高いかということまでも分かるようになってきています。

親の望んだ全ての才能を持っていないと出産しない、という「パーフェクトベビー」というのはまだEnishiとしてはやるべきじゃないんじゃないかという思うのですが、

ダウン症をはじめとする学習障害等の類いや、早老症などの遺伝疾患の類いが予め分かるのであれば、もうそれは「生まない」という選択肢はとても正しいと思っています。

と申しますのも、そういった人々を人道的な観点でもってそのまま生む、ということが一体誰の得になるのかというと、本当に誰も幸せにならないと思うのです。

「障害をもった子どもを持っても、幸せは何も変わらない」といった投書が新聞などに寄せられて相応の感動を呼んだりするのですが、スポットライトの当たらない、苦悩に満ちた人生を送っている親御さん達はおそらくこんな投書を出してくれた家族の数千倍という単位で存在します。

そういった、「生まなければ良かった」という立場からの投書のようなものはホントに表に出てこなくて(人権的に、タブーだからです)触れることができないのですが、

新生児を産むに当たって、中絶のできるタイミングで我が子の遺伝疾患の検査を受ける母親というのがもう、100%に迫るくらいになっているようで、ここは背に腹変えられない、正義とか道徳じゃどうにもならない事情がそのまま現れていて、だれも口にはしないけれどもこれが正しいという判断をしてそうしているというのが伺えます。

どれだけ真心を込めて育てても、常人のレベルに達してくれることはない、だからこそ一人で生きていくことはできない、遺伝的な問題なので、子孫を残すこともできない、そして一生、社会の荷物として哀れみと福祉だけを頼りに生きていくということが、人としてどれだけ幸せなのか、親御さんの苦悩と、本人の苦悩とを考えると、

「生まれてきただけで意味ある」なんてのは現実を前にとても空しく響きます。

「人がそこに生きている」ということは凄まじい圧力で、難民の問題や、介護の問題や、地方の限界集落の問題は、「人がそこに生きている」ことで発生する問題です。生存権は国が保障してしまっていますから。生きている以上は養わなければならないという前提。

将来、ベーシックインカムやらの仕組みが整うタイミングでは、「命の選別」というのもセットになっていると思います。(それと尊厳死)地球が有限である以上、少なくてもそれぞれが優秀な人間で文明を運営していかなければならない。

これは、選民思想というよりも、文明が成熟し人類がより全体として高度な洗練された存在になるための必然だと思うのです。

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