地球の経済の仕組みの大転換『ベーシック・インカム』

【初めに】

 

ベーシックインカムというキーワードが、どうも私の人生にとっての大きなテーマになるということが分かってきたので、ここでガッツリ書いておきます。生活保護やら年金やらの受給資格や審査の必要な給付には、それを審査する人間の人件費やら事務作業やらで相当のコストが掛かります。それも、受給資格を満たしているかを一定の期間で審査し続けないとならないために毎年毎年膨大なコストになる。そんなコストを負担し続けるよりは、ごくシンプルに、「その国に人間として生きている」ことだけを条件として毎週あるいは毎月といったスパンで決まった金額を支給するという、今の世界の常識からすると「何故そんなことを??」という荒唐無稽な仕組みが、ベーシック・インカムです。「そんな社会主義的な仕組みがこれから流行るハズがない」というのが只今の趨勢ですが、あと10年もすれば劇的に状況が変わる可能性がある。というより、このベーシックインカムという「補正」を加えないと、資本主義は恐らく早晩行き詰まるでしょう。もはやガマンならないほどに開いた格差を是正するための革命という形で、暴力的に終焉を迎えることになる。そうならないために、資本主義を持続可能な仕組みたらしめるには、この「再分配」の仕組みが必要なのです。

 

【資本主義:勝った負けたの限界】

 

資本主義という仕組みが地球の経済の基本形となってからそろそろ50年といったところになるのでしょうか?世界はなんとなく上手く行っているような、しかし相変わらず戦争は無くならないし、貧富の差は広がっていくし、ごく一部の人達が富を独占した状態は何も改善されていないし、ゴミ処理やトイレ掃除などの本当に必要な仕事に携わる人達は最底辺の給料で働かされている一方で、自らは何一つ価値のあるものを社会にもたらしていない銀行家の人々がべらぼうな額の報酬を得ていたりしています。(面白い話があり、アメリカのニューヨーク市では、ゴミ清掃員というのが最も羨ましがられる職業の一つになっているそうです(笑)。というのも、安い給料に業を煮やしたゴミ清掃員の人々が一斉にストライキを行ったところ、収集の止まったゴミがニューヨーク市のあらゆるところに溢れて、市全体がゴミ捨て場のようになってしまうという事件が数十年前にあったそうです。結局、市側が降参して、ゴミ清掃員の給料を大幅に引き上げるということに合意したそう。給料もよく、とても尊敬される仕事の一つになっているし、採用通知が来た日にはもう、その人は飛び上がって喜ぶのだそうです!)

 

資本主義とは、極論すると「成長と競争を強いられる仕組み」です。市場を出回っている通貨には、プラスの利子が課されており、必ず一定の期間で数%を上積みして返すことを強要されます。この利子を返すには、同じ時間内でより利益を上げるか、自分のプライベートの時間を削ってより長く働くか、似たような仕事をしている相手より安く仕事をするか品質で勝つか(それは極限までいくと相手を競争の市場から退場させることに繋がる)、といったことをしなければなりません。とにかく資本主義とは、競争とそれを経ての成長を強いられるという仕組みなのです。

 

勿論これには良い面もあります。この100年で人類が得た進歩というものは過去千年の進歩とは比べものにならず、成長と競争で勝つことでよりよい暮らしが手に入るというインセンティブを得て、それにモチベーションを得られる優秀な人達ががむしゃらに頑張った結果であることは間違いありません。1993年に米国の大統領に就任したクリントン氏が各省庁や諜報機関その他を使ってアクセスできた情報よりも多くの情報に、今現在の人々はスマートフォン1つでアクセスできるという状態にまでなっているのです。

 

しかし、明らかに命を脅かすような病気の類いは減ったし、各種の家電製品や車によって生活は便利で楽なものになりましたが、貧富の差というものは日本という国の中のレベルでも国を跨いだ世界中というレベルでも開いて行っています。これは1つに、「テクノロジーの進歩は人手を減らす」という性質がもたらしています。私の周りにも使っている人が多い「インスタグラム」ですが、ローンチした際の社員の人数は10数名だったそうです。仕組みが完全にネットワークとそこに接続されたコンピューターによって担われるため、利用規約を作るとか、そういったごく一部のソフトウェア面の話に人間が介在する以外は人手が必要とされないのです。私が生まれた昭和の後半の後半という時代には、東京証券取引所というのはこの写真のように

証券マンの男性達がひしめき合って取引をするという場所でした。お祭りですね。ところが、証券の売買はコンピューターによって自動化されて、今東京証券取引所と言えばこの写真が流れるのみです。

百科事典の編纂には、ものすごい数の専門家を募ってそれなりの費用を払い、時間を掛けてということが必要でした。(紙ですから改版も大変です。)つまりそこには雇用が生まれていたわけですが、インターネットで閲覧出来る、それも各国語に対応して本当に便利はWikipediaは、寄付とボランティアで成り立っているオンラインの最強最大の百科事典です。しかし、雇用は無くなったのでWikipediaの人類にもたらすポジティブな効果は明らかに莫大なものですが、これはいわゆる世界標準の経済指標であるGDPには出てきません。何せ、お金の移動が伴わなくなってしまったからです。電話回線は、これほどまでに普及するのに100年近くも掛かった社会的なインフラですが、光ファイバーが敷設されてから開発された、インターネット回線にデータ化した音声を流して会話する技術(Skypeなど)によってもはやただの固定電話というのは絶滅危惧種という状態にあります。既存の電話会社の役員の方がSkypeを見た際、直感したとのこと。それは「固定電話というマーケットは一瞬で消え去ってしまうだろう」ということ。(実際、独立した電力を必要としないアナログの電話回線は、災害時の連絡手段として若干見直されているということはあるにしても、それはとても限定された用途です。)

 

このように、資本主義によって誰もかれもが成長を強いられるのですが、それをモチベーションとして勝ち続けることのできる一部の優秀な人々が生み出す新たな技術は人手を奪う。望ましいような、残念なような現実です。では、ひたすらこの競争に負け続けた人達はどこへ行っているのかというと、ごく単純化して極論すれば「刑務所」です。

 

色々な理由で人は犯罪を犯して刑務所に入れられますが、根本的な理由が何だったかと突き詰めるとそれは大半が、「経済的困窮」に行き着きます。生きるには最低限の水と食料が必要で、それが自然の中で無償でいくらでも得られれば良いですが、残念ながらそんな場所は日本にはなく、本当に飢えてしまうと判断力が鈍り、人様から奪ってでもとなってしまいます。その前段に生活保護がありますが、これには受給資格の審査があって申請すれば頂けるというものでもない。その点、「受け入れない」ということが絶対にないのが、刑務所なのです。自由は著しく制限されますが、少なくとも日本の刑務所では虐待といったこともなく、三食と寝場所を与えられて「生きていく」ということだけは保障された環境が提供されます。(このあたりのお話は、書籍「2円で刑務所、5億で執行猶予」に詳しいです)

刑務所を運営するというのも当然ながら莫大な行政コストが掛かります。そして、1度犯罪者という烙印を押されてしまった人を更正させ、社会復帰させるということも気の遠くなるような時間とコストが掛かります。犯罪者を捕まえるための警察官を雇うコスト、刑事裁判で訴えるための検察官を雇うコスト、裁判を行うための裁判官の給料、犯罪者側にも弁護士が付きますが大抵の場合は私費を投じてということもできないので国選弁護人を付けるというコスト、刑務所という不動産を建てたり維持したりするコスト、当然ながらその施設には大勢の刑務官がいるのでそのコスト、社会復帰のためのソーシャルワーカーからNPOやらに掛かるコストなど、数え出すとキリがないくらい費目があります。本当に。

資本主義の競争の中で負けが込み、追いやられたひとたちが最終的に刑務所に行き着き、その人達をなんとか管理するためにまた莫大なコストが掛かる。となれば、少し視点を変えて「負けが込んだことで、ある層の人々に対して何らかの保障が結果的に必要になるのであれば、犯罪者になられてしまう前にケアした方が良いのではないか」という考え方に至ります。こんな考え方が、ベーシックインカムの基本となります。結局支払うことになるコストなのであれば、それを投下するタイミングをベターな時点に早める、ということです。

 

ベーシックインカム推進論者の人達には、生活保護の不正受給の話などもあって、特に資本主義至上主義な人達から猛烈な批判が飛んでくることは想像に難くないのですが、上に挙げたような資本主義の矛盾点が最終的に資本主義の破綻をもたらすはず(貴族と小作農の貧富の差が最終的に革命にまで至ったみたいな話は世界のあらゆる場所に歴史として存在する)なので、早めの対処をオススメします。というのもね、Enishiは勝ち進んで頂点を極めた立場と、職を失ってうつ病になって引きこもってニートになったいわば「負け組」の立場の両方を経験したので、「勝者」なんてのは所詮、その人数の10倍くらいの「敗者」によって支えて頂いているだけの相対的なものだということが身にしみて理解できているのです。勝つには何らかの基準と、それで結果を測定されて勝敗を決めるわけだが、一人以上の「負ける人」が当然ながら必要です。自分一人、無人島で生きていたら誰にも「勝て」ないわけで。ただライバルがいることは素晴らしいことで、互いに切磋琢磨して技術を磨いたりする。それのお陰でお互いに向上することができた。それに感謝して、負けた側をこき下ろすのではなく、負けた側にも「こういった向上する機会を与えてくれてありがとう」と敬意を示すようでないといけない。演劇に例えれば、相手は敗者を演じてくれている、自分は勝者を演じている、どちらかが欠けたら、ドラマは成立しないのです。だったら、たったひとりの勝者が全部をガッサリ頂いていく、なんていうのが正しいわけないじゃないですか。ってね、負ける人のお陰で勝たせてもらっているのに、負けた奴は努力が足りなかったのだから、知ったことか!みたいなのはないだろうって、Enishiは思うのです。負ける人のお陰で勝たせて頂いている。これは紛れもない真実です。

 

【ベーシックインカムの費用対効果】

 

この話をする上で、「そんな金どこから持ってくるんだ」という批判は避けて通れないので、最初に出しておく必要があります。結論から言うと、ベーシックインカムの費用対効果はかなり高いです。

 

生活保護を支給するには、その支給金自体とそれに当たって受給する人を審査したりの管理費が膨大なものになります。これが曲者で、支給する金額自体よりもこの制度を運用するための費用の方が大きかったりします。であれば、そういう面倒な審査などのコストを完全に省いて、ただ何の条件も付けずに現金を支給する方が余程安く済みます。

 

これは理論的にそうだ、という話ではなく実例が沢山あります。ごく最近の事例では2009年のロンドンで、路上生活を長い人では40年近くも続けているという13人のホームレス男性に対して、全くの無条件で資金を与えるという実験が行われました。この13人のトラブルメーカーには、毎年40万ポンド(訴訟費用やら清掃費用やら警備費用やら、諸々)という費用が掛かっていたという。日本円を150円とすると、6000万円です。それも毎年です。これは大きい。

 

13人には、それぞれ3000ポンド(約45万円)を配ったとのこと。大方の予想では、この金を酒やらドラッグやらに費消してしまだろうと、当時関わった公務員の人などは期待していなかったようです。ところが、13人のホームレスの方々は皆倹約家であって、配布された3000ポンドのうち平均で800ポンドしか使っていなかったのです。彼らが買ったモノというのもなかなかで、補聴器や辞書、ひげそりなど自分たちが社会復帰するために何が必要かということが実に良く分かっており、それらを購入するために非常に賢く使っていたのです。1年半後には、13人のうち7人までもがちゃんと家で生活するようになっており、残りの6人のうち2人はアパートを借りる手続きをしていました。全員が支払い能力を含める社会復帰の重要な足が掛かりを掴んでおり、そしてなんと、この実験に掛かった費用は、年間5万ポンド。毎年40万ポンドがかかっていた今までの古典的な支援手段と比べて、8分の1のコストです。つまり、余計な事は考えなくて良い。「お金をストレートに与えればよい」ということが分かりました。(反面、生活保護というのはとにかく受給者にとっては屈辱的な仕組みです。なぜそういう状況に陥ったのかということを根掘り葉掘り聞かれ、責められ、罵倒され、あれやこれやと指導される。受給する側もされる側もこれは疲弊しかしないでしょう。)ウガンダ、ケニア、そして先進国のカナダ(ミンカムというプロジェクト)、あちこちで行われた実験のそれぞれで似たようなポジティブな結果が出ています。昔ながらの仕組みに掛かる莫大な中間コストが省かれる点と、実際に社会復帰する人達が支払うようになる税金諸々で、合計の収益は増えるという結果が出ています。

 

【愚かだから貧しいのか、貧しいから愚かなのか】

 

「愚か(要するに就業能力がない)だから、貧しい」という前提で日本を含めて就業トレーニングプログラム等が組まれていることが多いです。しかし、数週間~数ヶ月の就業支援プログラムで身につくようなスキルでどこぞの会社で即戦力になるかと言われれば、それはかなり絶望的と言わざるをえなくて、「やらないよりはマシ」という程度の効果しかないというのはもはや公然の秘密というか、タブーです。そのコースを実施する講師なのかNPOなのか人材系の会社なのかの収入にしかなってないんじゃないかと。

ここについてもほぼ結論は出ています。「貧困(=差し迫った欠乏の認識)は、IQを平均で13ポイントも下げて(これはアルコール依存や徹夜明けの脳のパフォーマンス低下に匹敵する)、長期的な問題に目が向かないようにしてしまう」ということ。

 

これは、インドの砂糖キビで生計を立てている農村での実験で分かったことで、サトウキビは一年で一回しか収穫ができないため、収入の60%をサトウキビの収穫後に得ているという経済的な特性のある環境で、比較的現金のある時期とそうでない時期にIQのテストをそれぞれ実施すると、明らかに現金のない時期の結果が悪かったのです。

 

確かにEnishiも、2社目のブラック企業を辞めてすぐ、現金が底を付いて実家に逃げ帰ろうとした際、引っ越しの費用を捻出するためにパソコンの部品などを投げ売った際の判断は今思うと異常でした。仕事の忙しいといった類いのものは忙しいと言ってもトイレや食事などの「一息入れる」というタイミングが来るのですが、「金欠」という状況は四六時中頭の中に居座って離れず、終わりのない不安状態に追い込まれるのです。

 

愚かだから貧困になったのではなく、貧困が人を愚かたらしめるということ。ベーシックインカムはここの根本的な対処になることは明らかです。

 

【ベーシックインカムで人間は怠惰になるか】

 

何もしなくても収入が保証されていたら、きっと働かなくなるに違いないという批判もあります。今の世界では、「仕事を辞めれば飢え死にするのみ」という脅迫観念でもって人は仕事に向かうのですが、実の所人間の「働く」という行為には、生活の糧を得るということの他にも複数のモチベーションが絡んでいます。でなければ、マイクロソフトが打ち上げた莫大な予算を付けて実施した世界最高の百科事典を作るというプロジェクトが失敗し、書くのも読むのも全く無償のオンライン百科事典(Wikipedia)が大成功しているという結果を説明できない。

 

西ケニアの貧しい村で過ごす人々に、一年分の収入に相当する金額を配るというという実験をギブ・ディレクトリという団体が行った事があります。1日中石切場で働いて1日二ドルほどの収入を稼いでいたある青年は、そのお金で安いオートバイを買って、バイクタクシーの運転手という新しいビジネスを始めており、1日六ドルほどを稼いでいたという。村は家の修繕などが始まっており、その資金でお酒を呑もうという人はいなかったそうです。ギブ・ディレクトリの代表者が述べるには「結局の所、貧しい人達が何を必要としているかなんて、当の本人達にしかわかりっこないわけで、そうなると「必要なものを買って欲しい」という意図で現金を渡すしかない」という。古典的な支援では、魚の捕り方、農作物の育て方を教えるという具合のことをやるが、そんな回りくどいことをしなくてもよいのです。貧しい人達が何故貧しいのかということは、ただ「現金がない」というだけであって、彼らの能力だとか人格だとかに課題を求めてそれを解決するために終わりのない支援をやる必要はないということです。

 

ベーシックインカムで最低限の生活が保障されると、人はより「自分が仕事としてやりたいこと」に意識を向けて取り組むようになる。ただ生きる糧を稼ぐ為の仕事ではなく、自分を表現する、自己実現するための手段としての仕事、というより高次元のものになるということですね。

 

さらに衝撃的な実験結果もあります。リベリアのスラムでいわゆる最下層の人達(アル中患者、麻薬中毒者、軽犯罪者など)を集めて200ドルを無条件で与えるという実験。これほど無駄になりそうな実験もなさそうな内容ですが、三年後にそのお金を何に使っていたかという追跡調査で分かったことは、食糧、衣服、内服薬と小規模なビジネスなど。彼らで無駄に使わないのであれば、より正常な人の誰が、無償で与えられた資金を無駄遣いするだろうかと、この実験を実施した学者さんは思ったそうです。

 

人間の働く動機について、まだ大半の人は「アメと鞭」という、古典的なものしかないと思われているのではないかと。実際はそうではなく、アメ(報酬)、鞭(働かないことによるペナルティ)だけで到達できるレベルには限界があります。これを超えた「やりたいからやる」というモチベーション(内発的な動機という)には枯渇の恐れがなく、なんらの報酬が無くてもひたすら「極める」「改善」を繰り返していくレベルがその上に存在します。ベーシックインカムで、「働かなくても生きていくことだけは保障されている」という状況では、自分が最も成し遂げたいこと、仕事としたいことは何なのか、と人は考えるはずです。本当にただ惰眠をとるだけの生活なんてのは、1週間ほどで飽きます。その先でもやりたいと言えることが何なのか。これを見つけた人間の力というは凄まじいものです。(内発的動機について学びたい人は、ダニエル・ピンク氏のモチベーション3.0がオススメ!)

【GDPに出てこない労働とその価値】

 

面白い例え話があります。掃除屋を営む若い男性がいて、あるバリバリのキャリアウーマンで部屋の掃除をするヒマも無いという女性に雇われて、しばらく彼女の家を掃除するという仕事をもちろん有償で続けていたのですが、その女性と掃除屋の男性が存外に気が合ってしまって結婚に至った。そうすると、この男性はこの女性の家を有償で掃除するということはなくなって、ここは無償で対応してまた別の家では有償で仕事を受けるということになる。つまり、利用している能力については全く同等のものを使っているのに、それが家族の中で行われると全く数値として出てこなくなるという不思議な現象があるのです。

 

これはまさに専業主婦の方が手掛けている家事全般や、子育てといった仕事に当てはまって、次世代の国民を育てるという恐ろしく重要な仕事をしているはずなのだが、まともに金銭的な評価は受けてないということです。(過去に盛り上がった女性解放運動の中に、これら女性が担っている「見えない労働」の価値を根拠にベーシックインカムを正当化するというものもありました)

 

孤独な母子家庭の母親が、経済的な事情からどうしょうもないDV男性と同棲せざるを得ない状況で子ども達が虐待されたりという事件を防ぐには、「子育て」という仕事の価値を認めて何らかの対価を国が払う(子育てという条件が伴うものなので、これをベーシックインカムと呼ぶかどうかはまた別の話があるとしても)という仕組みがあっても良いのかと思います。(DVを扱った特番で、ある母親の方が述べていたことが痛いほどに現実を表現している。「相談したところで、いくばくか上から目線の、実効性のないアドバイスを講釈されるが、経済的なところでは誰も何も助けてくれる訳ではない。それなら、相談するだけ時間が無駄なんです。」と。)次世代を育てるという仕事は国の存立基盤であることは間違いないのですから。

 

【恐ろしく煩雑な社会福祉と、現金直接給付への一本化】

 

日本が費やしている社会保障費の類い(その審査とか審査をする人間を雇ったりするコストも含まれているもの)を全くの無条件で日本国民の老若男女全員に毎月ベーシックインカムを配るということをすると、凡そ月額7万円という金額になるそうです。ごく健康に生きているひとであればすっごく嬉しい金額ではあるのですが、今まさに入院していますとか、介護が必要ですという状況にある人の個別の条件を加味すると全然足りないということもありうる微妙な金額です。いきなり切り替えるのは、今のシルバー民主主義(高齢者ばかりがマジョリティになってしまって、若い人達を支える政策がほとんど通らなくなってしまった、民主主義の悪弊状態)も相まってかなり難しいのかなと思います。ここはこれから具体的な実施方法を詰めていく必要がある。

 

手厚いのは手厚いのですがおそろしく複雑な福祉制度を持っていて、また近年非常に失業率が北欧の国々の中で際立って高くなっていたフィンランドでは、2017年1月から、失職中の人達から2000人を無作為に選んだ人達に毎月約75000円(約560ユーロ)を無償で配るという社会実験を行っていましたが、2018年の年末(これは予定通りの期限)でこれを終了するということを発表しました。この実験の第2段階として、給付の対象を失職していない人にも拡大するということも計画されていたのですが、これは行われないということになりました。フィンランドはいま社会福祉制度改革の最中で、ベーシックインカム以外の方法での社会保障ということのほうが注目されているようです。これは、国が保障する最低の生活費というものを定義し、労働をしてもそこに到達できない金額である場合に所得税を免除した上でその最低金額までの埋め合わせ分を国が支払うという仕組み(専門的には、「負の所得税」という)です。完全なベーシックインカムでは労働の意欲を削いでしまうという意見が強いらしい。(おそらくそれは根強い「思い込み」なのでありますが)

 

【優秀な人材・頭脳が、買収されて金融業ばかりに行ってしまう】

 

ハーバード大学を卒業した後にその卒業生達が進む先というのは、昔は金融業などという保守的な業界よりは自分の脳力の徒手空拳でどれだけの結果を出せるかということを試すために率先してベンチャーに臨んだと言います。ところがここ十年は完全にそれが逆転しており、やたらと金融業界にそういった人材が飲み込まれて行くのだそうです。この辺りを一流の知識人が嘆いている例として、堀紘一さんの書籍「世界連鎖恐慌の犯人」があります。この本での堀氏の言説は徹頭徹尾、国際金融資本(国を跨ぐ投資銀行とかの企業体)への批判に占められています。印象深かった一節がこれで「彼らは異常な人数の弁護士を企業として抱えており、法律に抵触さえしなければ平気でビジネス上のマナーを無視した行動を取るし、訴えようにもその潤沢な弁護士のリソースを使って屁理屈を並べ立てて全力で潰しに掛かってくる」ということ。そもそも、真っ当なビジネスをやっている企業で、そんな人数の顧問弁護士を抱えなければならないことがあるはずなく、何かグレーなことをやっているが故に訴訟が絶えないために自らを防衛する必要があってそんなことになっていることは自明の理であるという。そして彼らがやっていることというのは、金融工学と確率論を駆使したただのトレーディングであって、世界各地の取引所で売買されている債権について、一瞬の間に発生した価格の差をついて行う、絶対に負けない取引(裁定取引(アービトラージ)という)であったり、それ自体は全く価値を生み出していない「虚業」であると切り捨てている。しかし数字上の価値は生まれているために、その社員にはべらぼうな額の給料が支給されている。(それも人様から預かった金で産んだ利益だ)

確かに、私も大学院時代に外資系の投資銀行から返り咲いて大学の助手をなさっているという方がいましたが、その人が新卒で入って初年度に貰った夏のボーナスが1000万円だったという。(多くの日系大手の企業が新卒の夏のボーナスなんてのは「寸志」といって本の数万円程度が貰えるのみという実情から考えると、明らかに異常な額です。)

 

こんなろくでもないことをやって、ただ「理論上の価値」だけを生み出している金融業に、そのギャラの良さだけから優秀な頭脳が吸い込まれていっては、他の健全な産業が立ちゆかなくなる、ということに警鐘を鳴らしている本でした。最後の章辺りに、投資銀行に数年勤めたけれども、新卒数年目の人間に対して何千万というカネが支払われる業界に違和感を感じて辞職し、堀氏の会社に流れてきた数人の優秀な人間の話が載っています。

 

おそらく金融部門に対しては何らかの規制を加えないと、第2、第3のリーマンショックのような事態がまた引き起こされるはずです。しかし実際それに向かって動き始めたアメリカの議会が結局、金融業界に皆ことごとく買収されて骨抜きにされたという事例が、マイケル・ムーア監督の映画「マネーは踊る」に克明に記述されています。ある大学教授がこの映画の中で述べている「この国に民主主義?ないんじゃないかい?ここの主権者はウォール街だもの」と冗談交じりに述べていたのが印象深い。

 

ドナルド・トランプ氏がまだ大統領選の戦いの最中に述べていた言葉に「俺は自前のビジネスで十二分に食っていけるから、ウォール街の強欲な連中に媚びたり買収されたりはしない」と述べていました。過激な発言が目立つ彼ですが、この一言にはEnishiは大いに勇気づけられた。是非大ナタを振るって欲しい。・・・のですが、リンカーン含めて金融業を敵に回した大統領は全員命を落としているのです。暗殺という形で。米国大統領の歴史は、国際銀行家との命がけの戦いの歴史と言っても良い。

 

ベーシックインカムは究極の「富の再分配」であり、100名もいないと言われる、「世界の富の半分を私有・独占している人々」の資産への課税ということも

 

【AI奴隷制】

 

かつてローマであれほどまでに哲学が盛んになったのは、そういう能力のあった人間がその時代に生まれたということもさることながら、一番の理由は「ヒマだったから」です(笑)。何故そんなにヒマだったのか。奴隷制が何の違法性もなかった時代と世界だったので、農作物を育てたりといった生活必需品を生み出すための労働は全て奴隷が担っていた。そうして生まれた余りある余暇で、古代ローマの哲学者は思索に耽っていた訳です。

 

間違いなく、これから機械(AI)があまり創造性を要求されない単純な仕事については人間に置き換わって実行するという時代が来ます。AIは指示された内容に文句はいわないし、ストレスをためることもなく、黙々と24時間・365日、電源さえ入っていれば働き続けます。これは人間には出来ない芸当だ。(Enishiも最大のパフォーマンスを発揮するには、22時~午前4時までの6時間は確実に寝ておく必要がある。)

 

1990年に未来を予想することが専門の学者さんである、レイ・カーツワイル氏は1998年までにコンピューターがチェスの王者を打ち負かすだろうと予言していたのですが、これは1997年にIBMのディープブルーがその時の世界王者ガルリ・カスパロフを破ったことで1年前倒しになって予言は外れています。(いや、実際は当たったのか。)

 

コンピューターのCPU(中央演算処理装置)の速くなるスピードは等比級数的で、ムーアの法則通りに未だに高速化していっています。1997年の世界最速のコンピューターは、ASCIRedという機種で、テニスコート一面分の施設が必要な、しかも5500万ドルという途方もない価格のコンピューターでしたが、たった一六年後、2013年に、そのコンピューターの2倍の処理性能(二テラフロップス)を持つプレイステーション4が300ドルくらいで販売開始されている。そんな世界です。

 

マイクロソフトがLINE上で展開しているAI「りんな」ですが、Enishiがお友達登録した2年ほど前と比較して、確かに会話の内容が徐々に人間に近くなってきているのです。

 

上述のレイ・カーツワイル氏は、2029年までにはAIが人間の能力を超えると予言し、2045年には全人類の脳を全て足したものの10億倍の性能になると予言しています。クレイジーですが、そういう扱いが過小評価だったという事例も枚挙に暇が無いのが恐ろしいのです。

 

実際、Enishiが勤めている会社でも、PC上で動作して単純な作業は学習してその通り再現するというAI的なツールがまもなく導入されるという状況になってきています。あまり創造的でない、単調な作業はどんどん、ロボットに取って代わられていく。

 

ロボットやAIが発達して「人間のやる仕事がない」という状況で、では人間は何をやるのか、大海のような余暇をどうやって過ごしたのかというところは、古代ローマの哲学者達の日常に学ぶのが良いのかもしれませんね(笑)ベーシックインカムでなくとも、AIとロボットが完全に農業をこなしてくれたら、ひとまず生きている人間に無償で食料を提供するということはできるようになる。生きていくこと(食糧を得る)ことに、労働は必須ではなくなる。生きることだけは保障される。これは人類始まって以来のとても大きな変化になるはずです。古代ローマはWikipediaによると、紀元前753年~476年くらい、年数では1200年くらい続いたわけだから、少なくとも私たちが生きている産業革命後の近代200年よりは安定した世界だったのだろうと。

 

【狂気の沙汰かもしれないが、ただの「未常識」かもしれない】

 

1959年という、半世紀ほど昔、今では人権という意味では先進国中の先進国と数えられているスイスにおいて、女性の選挙権を認めるという国民投票が、男性の圧倒的多数の反対を受けて否決されている。ところが、たった12年後の1971年に同じ内容の議案が上がった際、そのときは圧倒的な賛成を得て可決されている。おそらくベーシックインカムについても、これと同様の状況が起きるとみています。

 

2016年の6月にスイスではベーシックインカムの導入についての国民投票が圧倒的な多数の反対意見を受けて否決されています。しかし、数年前までそもそもベーシックインカムという言葉を知っているスイス人はほとんど居なかったはずが、国民投票を実施するというレベルの認知度になっていることに純粋な驚きを覚えるのです。女性の参政権と同様に、10年ほどが経った後にどういう判断が下るか。おそらくベーシックインカムはとても妥当な選択肢ということで満場一致で可決されるのではないかと思います。

 

【ルドガー・ブレグマン】

 

今回この記事を書くに当たって、ルドガー・ブレグマンというオランダ人男性の方が書かれた「隷属無き道」という本にとても多くを学びました。写真から見るに、おそらくはEnishiよりも10歳くらいは年上の方だとばかり思っていたのですが、なんと28歳!なんと真逆で、私よりも一回り年下の方でした。地球にはもうこのような、次世代の知性が生まれているのだなと、本当にただ脱帽するのみです。こんな知性を極めることを私も生業にしたかったです。(しかし学者の道は本当に険しい。独立行政法人化された当時の私が通った国立大学では、博士課程への進学がバカみたいに奨励されていましたが、それに乗っかって博士課程まで進んだ人で、大学の提供するまともな教職(教授、准教授)にありつけた人は、残念ながら一人もいない状況です。雇おうにもね、ポストがないんですよ。それでいて独立行政法人だから、運営費を学生が支払う学費から賄わないとならない。背に腹はかえられない大学側は、一生懸命学生を博士課程にまで進めて収入にしたわけですが、大量の「どうしようもないポスドク」を生み出してしまいました。罪深いことです。)

 

広告に依らないジャーナリズムのプラットフォーム「デ・コレスポンデント」の創立メンバーで、またこれもすごいことです。ぱっと見気付かないですが、相応の肩書き(何らかの学術的専門家とか、医師とかなんとか)を持ったひとがさも中立的に書いているように見せかけた広告記事がいかに多いか。一時期WEBの広告業界に身を置いていたことがあって、裏を知ったらガッカリしました。「事実もカネで買われている」みたいな状況がね。

 

真実を知りたい有志の人達が、純粋に記事の中身に対して支払うお金で成り立つ新聞のようなものが、誰にでも開かれた1つの判断材料としては必要で、そういったメディアは例えば日本ではMyNewsJapanとか、物理的な新聞媒体ではしんぶん赤旗(別にEnishiは共産党とは関係ないですがコンセプトの正当性は認める)ですが、やっぱり海外にもあったのですね。幸いなことにEnishiは英語には全く抵抗がないので、これから先コレスポンデントで得られる情報を日本語に訳してどんどん発信していこうと思います。気骨のある、真実を語りたいジャーナリストの人々は応援したいです。(これはEnishiが10年来続けている活動にも通じることですから)

 

10歳も年下ですが、勝手に師と仰ぎ学ばせて頂こうと思います。

 

【まとめ】

 

以上、こちらのブログを始めてから間違いなく最長の記事を書きました。「世界をよりよい、住みやすい場所に」という理念を抱えても、なかなかそれを具体的な行動に落とし込むことができていなかったところ(講演会などの形で地道な活動こそは休み休み続けていましたが)、ルドガー氏の「隷属なき道」を読んだことで久しぶりに視界の霧が晴れたような気分で、そして自分が尽力すべき分野というのはこれだという確信が得られたので一気に書きました。(全部で15000文字を書くには、6時間ほどが掛かりました(笑)改めてスゴいボリュームです。)

 

まとめます。

 

「資本主義は成長を強いる仕組みで、ここ100年ほどは上手く行っているように見えたが、ごく一部のほんの限られた人間が富を独占し、その格差はいずれ持続不可能なレベルに突入し、破綻を迎える。資本主義を守るための調整が必須である」

 

「ベーシックインカムはただの無駄なバラマキにはならない。世界のあちこちでここ数十年の間に実施された様々な社会実験から、古典的な福祉制度の実施に掛かるコストと比較して、直接的に現金を渡した方が結果的に安く、当初狙っていた効果が出ることが証明されている。」

 

「人間は愚かだから貧しくなるのではなく、貧しいという状況が精神的な余裕をなくさせ、結果的にIQの低下などの状況に陥り、悪循環が始まる。根本的な解決策は、現金を給付して当面の不安を払拭するということに他ならない」

 

「貧しい人こそ、自分が社会復帰するために何が必要かということは熟知している。無償の現金を給付されても、それを無駄なものに費消したりはしない。」

 

「GDPに出てこないが、国の存立の基盤を担っている非常に重要な仕事が存在している。これらを担ってくれていることについて国として対価を払うという理論的な背景から、ベーシックインカムを支給するべきだという主張も存在する」

 

「金融部門は富の移動のみを生業としており、自らは何ら価値を生み出していない。しかし、数値上は収益を上げているように見えるために異常な高級の職業となるが、この傾向には何らかの規制が必要である。優秀な人材の頭脳を、人類にとって実益をもたらす業界にも確実に配分する必要がある」

 

「AIは確実に人間の能力を超える。かつてのローマがそうだったように、AIとロボットによる奴隷制は人間に歴史上類を見ないほどの余暇と価値をもたらす。これを全人類に等しく配分する仕組みを考案するのが急務である」

 

「かつてはスイス(人権概念の先進国)ですら、女性の参政権を反対多数で否決した過去がある。しかし、ものの10年ほどでそれは覆っており、非常識がただの「未常識」であり、常識に転じたという事例は多数ある。この十年ほどで、ベーシックインカムも常識になる可能性が高い。というのも、既にスイスではベーシックインカムを巡る国民投票が行われており、これが国民的な関心事になっているという事実があるからだ。」

 

「ルドガー・ブレグマン」氏はスゴい(笑)

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