物理次元の非効率さと魂の学びのバラエティ

ある無人島に、身の回りの一切のことを全て自分で出来るという人が流れ着いたとして、その人は農耕から家の建設から魚獲りから狩りから何でも自分でできるのでその島でのサバイバルが普通に可能だったとします。

一人で独立して生きていけるのですから効率としては最大です。これ以上を望むべくもない。しかし、話し相手もおらずひたすら一人で生きていくという、ストイックというか娯楽もないというか、ごく淡泊な人生になります。

この、何でも一人で出来る人の能力を分割して、4人の人間にそれぞれ分け与えたとすると、『農耕のうまい人』『魚獲りのうまい人』『狩りのうまい人』『建築のうまい人』
という具合の、それをひたすら実行するために上達の速い専門家が生まれる。

各人、野菜と魚を交換したり、家のメンテンナンスと引き換えに食事を提供したりという物々交換でこの4人のコミュニティは回っていく。

こうなると、人間は純粋に4人になったのだからエネルギーの消費は4倍になっていて、魚獲りやらのタスクを4人で実行しているのだから効率は下がっています。

しかし、生きている人間は4人になって4倍。4通りの、それぞれ専門家としての人生が送れるわけで、魂の学びのバラエティも4倍になっています。

効率を最大化すると学びは一辺倒のなんとなく無味乾燥なものになり、一見非効率なのですが数を増やすことでバラエティが増えて楽しくなる。

地球上がね、「なんでこんなものが」という一見無駄なノイズにまみれているのも、この手のバラエティを用意して人が退屈しないようにするという、予めの設計めいたものを感じるのです。

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